TEMPな空間

水蒸気が好きです。

個人的に好きなアニメのメモ

ただ個人的に好きなアニメを書き連ねるだけです(気が向いたら個々のアニメについて何かコメントをつけるかもしれない)。

 

以下は諸注意です(読み飛ばしてOK)。

  • テレビアニメ(OVA含む)とアニメ映画は分けて考えてます。
  • テレビアニメについては、複数のシリーズがある場合、期数を明記しています。
  • 順位をつけるのが難しかったので、以下はランキング形式ではなく、箇条書き形式です。
  • ジブリはいれてません

 

1. とても好きなテレビアニメ10(よく人に勧める)

 

2. とても好きなアニメ映画3(よく人に勧める)

 

3. 普通に好きなテレビアニメ・映画(気が向いたら人に勧める)

 

4. とても好きなアニメーション3つ

 (分類が難しかったので好きなアニメーションとしてまとめたけど、謎カテゴリすぎる…)

 

5. 好きだけどそれほど人に勧めたりはしないかなあというアニメ

(まあこれは他にもたくさんあるはず…)

*1:Youtubeに公式で公開されている第0話と、dアニメストアニコニコ動画で配信されている第0話がなぜだか違っていて、冒頭5分に関して言えば、映像は同じだけどBGMが違う。詳細はYoutubeのコメント欄を見ると分かるかも。とりあえず僕はYoutube版の方が好き。

使って良かったPCソフト・周辺機器など

使って良かったなっていうPCソフト・周辺機器について適当に書きます.
買ったやつがメインですが,フリーソフトも混じってます.

トラックボールのマウス

これ使ってます.めちゃ良い.

トラックボールには大きく分けて,ボールを親指で操作する「親指タイプ」と人差し指で操作する「人差し指タイプ」があるんですが,これは後者です.実際には僕は人差し指ではなく中指でボールをくるくるやっています.

トラックボールの問題として,細かい操作が難しいというのがあります.たしかに最初は慣れが必要ですが,慣れれば非常に快適です(コツはスクロールの速度を最低に設定すること).

あとこれは人差し指タイプのトラックボール全般の話ではなく,このマウスの話なんですが,青いボールの周りに何か筋の入った灰色のリングがあるのが分かると思うんですが,これが回るんですね(水平方向に).んでこれがスクロールになるんです.これが便利.デフォルトの設定だと時計回りに回すと下にスクロールします(設定で逆にもできる).

値段的にもお手頃なのでお試しあれ,と言いたいところですが,これは実際に電器屋とかで一度触ってみた方が良いと思います.僕は人差し指(中指)タイプ派だったのですが,ネットを見ていると親指タイプの方が人気なようで・・・

ATOK

ATOK (日本語入力システム)

ATOK (日本語入力システム)

商品はたぶんこれなんですがちょっとよく分かりません.とりあえず買い切りのやつじゃなくて月額のやつです(月額300円くらいのやつを公式HPから購入しました).

これは漢字変換をなんかがんばってくれるやつです.使ってみる前はMicrosoft IMEでそれほど不満を感じていないと思っていたんですが,ATOKを一度使ってみるとIMEが不便だったことに気づきました.主なポイントとしては次の四つです.

  • 変換が頭良い:長めの文章でも良い感じに変換してくれる.
  • 入力ミスを勝手に修正して変換してくれる:これにはほんと驚いた.正確なタイピングを鍛えるよりもATOKを買う方が早かった.
  • 新しい単語を覚えてくれる:ちょっと専門的な単語だと一発変換できないけど,一度変換しておけば覚えてくれるので,次から一発変換できる.IMEで単語登録とかしなくていい.
  • よく使う単語やフレーズを覚えてくれる:最初の数文字を書いてタブを押すだけで10文字とかばばっと出してくれたりする.

ここまでべた褒めしといてアレですが,ATOKは日本語メインなので,英文に関してはそれほどです.日本語で文章をたくさん書く人にとっては便利だと思います.

Microsoft To-Do

WIndowsストアアプリとAndroidアプリにあります(iPhoneアプリもあるみたい).

ふつうのTODOリストなんですが,リストの操作がしやすいのと,期限と通知を別で設定できたりと個人的には便利だなと感じています.それから,これをMicrosoftアカウントでログインして使うと,勝手に同期してくれるので,PCとスマホで同じ内容を確認できます.これもなかなか便利.

ウィズダム英和・和英辞典(Windowsストアアプリの)

ぱぱっと調べるのに便利.個人的にはデザインが見やすくて気に入っています.
単語数はそれほど多くないので,基本的な単語をさっと調べるのに使っています(ネット検索でも良いのですが,例文が信頼できないときがあるので・・・).

Mery

「Mery」フリーの高機能テキストエディター - 窓の杜

テキストエディタです.デフォルトのメモ帳は使いづらい(見づらい)ので,代わりにこのフリーソフトを入れています.

デザインがかっこいい.見やすい.設定いろいろできる.便利.

VSCode

どうでもいいけどプログラミングで使うエディタはVSCode派です(Atomからの移民).

Evernote

スマホで書いたメモをPCでぱっと見るために使ってるんですが,Evernoteほど高機能でなくてもいい気がする・・・(正直使い方がよく分かっていません).

Inkscape

ベクタファイルを編集するのに使ってます(イラレ高いので・・・).
高等テクニックを使ったりしないので,基本的な操作であればInkscapeで足りてるかなという感じがします.
ベクタファイルはまあパワポで作業できなくもないのですが,レイヤが扱える専用ソフト(例えばInkscape)の方が慣れれば格段に楽ですね.



(書いてみたら意外と書くことがなかった.見返してみたらほとんどトラックボールATOKの話だし・・・)

ことわざの音数(仮)

物言えば唇寒し秋の風」とか「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とか、ことわざで七五調のものが少なくないなあと感じます。

ことわざはたくさんの人の記憶に残らなければことわざとして生存できないので、そう考えると語呂の良い七五調のものばかりであっても納得がいきます。

とは言えこれは自分の印象に過ぎないので、実際のところはどうなのかと思い、ためしに調べてみました(一部)。

次のサイトに載っていることわざのうち、「あ」から始まる178のことわざを集めました。
ことわざ辞典

各ことわざの読みから、「ゃ」「ゅ」「ょ」を取り除いて文字数を数え、これを音数としました(「、」は音数に含まれています)。

結果です。
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(ぱっとエクセルで書いた上にゴミ画質で申し訳ないです)

12音が一番多く、これは5音+7音で12音なので納得がいきます。七五調が多いという印象はやはり正しかったようです。

12音が多いのにつられて、その周りの音(11音・13音)が多いのは理解できるのですが、わりとその山が大きく、幅が広いです。これに関しては12音の多さだけでは説明できないでしょう。7音の山や14音(7+7)の山とくっついて大きな一つの山を形成しているのかもしれません。

それから、21音にも小さな山ができています。21音がどういう構造なのかはまだよく分かりません。21音だった7つのことわざを挙げておきます。

あかごのうちはななこくななさとのものににる
あかはこするほどでる、あらはさがすほどでる
あさとびがなけばとなりしちけんいでがならぬ
あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり
あたらしいさけはあたらしいかわぶくろにもれ
あやまちてあらためざるこれをあやまちという
あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ

う~ん…。


5/20追記

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サンプル数を1718に増やしました。

やはり12音が突出して多いですが、10音(5+5?)や14音(7+7?)、7音も多いです。21音はそこまで明確ではないですね。

これでことわざに七五調が多いことは十分示せていると思いますが、音数分布の細かい内部構造についてはまだよく分かりません。

6/16追記

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音の数の集計に一部不備があったので修正しました。

基本的な傾向はほぼ変わらず、7、10、12、17文字が多くなっています

7、10 = 5 + 5、12 = 5 + 7、17 = 5 + 7 + 5ってとこでしょうか

フレーズにはまる

ここ二週間ほど、

四角い部屋をみたすなつ

というフレーズにはまっている。これは自分で思いついたフレーズで、なんだかリズムが良いので気に入っている。「四角」という言葉が好きで、ふとした時に使ってしまう。四角い部屋を満たしてくれる夏は、なんだか柔らかそうな、丸そうな、そんな気がする。光は丸い感じがする。光線は四角い感じがする。暑さや湿度は丸い感じがする。四角いものを満たすのは、丸いものだと思う。
このフレーズはなつで終わるので、ツという音が余韻として残る。あえて平仮名にしたのはそういう意図もあるけれど、果たして自分以外の人に伝わるのかどうか、分からない。



このフレーズにはまる前は、

おーろらのいろはそらのいろ
おーろらのいろはそらのいろ

というフレーズにはまっていた。これもなんだかリズムが良いし、なにより「ろ」が三回出てくるのでたのしい。途中で「ら」が二回出てくるタイミングもちょうどよくてたのしさを増している。字面ではとくに面白みを感じないけれど、口に出してみると音の面白さが分かる。そんなフレーズだと思う。そういえば、オーロラの色と言えば淡い緑色だと思っていて、高校の化学の授業でオゾンの色は淡い緑色だと習ったけれど、これは関係があるんだろうか。



去年や一昨年は、フレーズというよりは造語にはまっていて、「人工白夜」「青銅硝子」「水晶雪」という造語がちょっとしたマイブームだった。どの言葉も何か実体を想像して作ったわけではないので、どんなものかと聞かれても答えられない。ただ、どれも青白いというイメージだけは持っている。青白いと言えば萩原朔太郎の詩。萩原朔太郎の詩には「青白い」という言葉がよく登場する。たいていどれももの悲しいイメージだ。宮沢賢治はよく「青」という言葉を使うと思う。トラークルはオーストリアの詩人で、カラフルな詩が多い。彼も青という言葉を多用する。同じ青でも萩原朔太郎宮沢賢治とトラークルでは印象が大きく違っていて、詩人はそれぞれ自分の言葉を持っているんだなあとか思う。


* * * * *


他に自分はどんな言葉にはまっていたのかなと思って、ためしに自分のツイートを「語感」で検索してみた。最も古いツイートはこれだった。


後ろに重めのカタカナ6~7文字を持ってくるとなんだかピタッとはまる感じがある。ちなみにどっちもタイトルを知ってるだけで、中身はほとんど知らない(にわかでごめんなさい…)。




南極大陸 - Wikipedia
アンタークティカ(Antarctica)っていうのは南極大陸を意味する英語なんですが、英語っぽさがないし、なにより音がカクカクしててなんだかかっこいい。ああ、後ろの子音がTKTKになってるのか。これはどうりでカクカクするわけだ。
Arctica - Wikipedia
あとこれは古大陸なんですが、アークティカ(Arctica)っていうのもありまして、これもカクカク。
「アークティカ、アンタークティカ」って並べて言うと、リズムが良いしすごくカクカク度がアップする。
南極石 - Wikipedia
そういえば宝石の国っていう漫画・アニメの中に「アンターク」って呼ばれているキャラクターがいたなあと思って調べると、正式名はアンタークチサイト(Antarcticite)と言うらしい。日本語では南極石なのでアンタークティカ(南極大陸)と音が似てるのもうなずける。にしてもアンタークチサイト。語呂が悪いのでいつまで経っても覚えられそうにない。




レイテンシ - Wikipedia
レイテンシ(latency)は待ち時間を意味する英語で、ネットとかハードとかに関係した専門用語らしい(詳しくは知らない)。レイテンシもなんだか変な音で、英語なのにやけに日本語くさい。レイテンシのシは実は「子」なんじゃないかと思う。振動子みたいな。レイテンシとシンドウシ。シンドウシとレイテンシ。
あとテンシの入ってる言葉って珍しい気がする。はじめて聞いた時は日本語だと勘違いしていたので、「レイテンシ?零天使?」とか中二くさい漢字を思い浮かべてしまった。
レイテンシ。やけに日本語くさいのに日本語でない、その不思議さゆえに自分には強い印象がある。
用語解説辞典|【公式】NTTPC
あ、低レイテンシという使い方もあるのか。七文字で丁度いいし、イ→イ→シで韻も踏んでくるのも憎い。




これは自分でも良い発見をしたな、と思っている(自慢したい)。ただ、「○○○○インザ○○」という音の数以外に共通構造が見つけられず、いまだにうーんと悩んでしまう。どちらの題名もリズム感が良いなとはおもうけれども、「○○○○インザ○○」という構造自体が綺麗だとは思えない。たぶん、前半四文字の二文字目に、促音「ッ」とか長音「ー」とかが来てるのがポイントだと思うけれど、よく分からない。インザの「イ」とライの「イ」がなんかありそうなきもする、よく分からない。




少女終末旅行が好きなので、つくみず先生のツイッターをよく見ています。そういえばこれも七音。たぶんどこかに書かれていると思うけれど、七音は2+5で分解するよりも3+4に分解する方が綺麗なことが多いと思う。まあ、あくまでこれは七音単体の話であって、俳句・短歌の中でもそうだというわけでないですが。都々逸には七音の分解の仕方に制約があるって話をどこかで見たような(ちゃんと調べてない)。




おじさんなのでさいきんVtuberにはまっている。それでよくゲーム実況されているデッドバイデイライトという洋ゲーを知り、これはまた語感が良いなと思った。英語圏の方々、だいたい良い語感を持ってくると思う。まあデッドバイデイライトを日本語で読んだ時と、ちゃんと英語で読んだ時で拍数は違うけど。ああそうか、英語で読んだら最後の「ト」の音が落ちるから、ほんとに綺麗にイの三連で韻を踏む感じになるのか。なるほど。



日本語でリズム良い感じにしようと思うと、5文字+7文字とか、7文字+5文字とかになりがちだと思う。キャッチコピーとかでよく見るし、冒頭で紹介したはまってるフレーズは二つとも7文字+5文字(二つ目は8+5だけど)。7文字と5文字の組み合わせはやっぱり美しくて、さすが万葉集あっぱれ万葉集って感じだけれど、ただ他のリズムも見つけたいなあと思ったりする。万葉集から現代のキャッチコピーまで、5文字7文字だらけなのだとしたら、歴史も感じるけれど、日本語の制約ってそんなにきついのだろうかとも思ってしまう。


追記&謝辞

都々逸は3-4-4-3-3-4-5と分けられるそうです。やっぱり7文字は3+4で分けるんですね。
教えてくださったFuさん(@bgvillea)ありがとうございます。

考えずに読むことについて:物語と情報の対極にあるもの

人に読んでもらいたいと思うほど自分が満足する詩を書くために、あと何年かかるかわからない。それならば詩を書くよりも、自分の好きな詩について書く方がずっと良いのではないか。そう思ったりもする。

現実に詩の話をする機会はない。文学好きの友人は何人かいるし、彼らの文学論を聞いているのはとても楽しい。僕も負けじと安部公房夏目漱石が好きだと言ってみる。けれど彼らが好きなのは、小説であって詩ではない。そもそも詩を読みますという人に出会わない。

とくべつ詩を読まない、普通の人が”詩”と聞いて思い浮かべるのは、「国語の時間に教科書で朗読した詩」だろう。それは例えば、高村光太郎金子みすゞの近代詩かもしれないし、谷川俊太郎吉野弘の比較的平易な現代詩かもしれない。僕は近代詩も好きだけれど、どちらかと言えば現代詩が好きで、どちらかといえば少し難解なやつが好きだ(はじめて買った詩集は吉野弘だったし、もちろん吉野弘は今でも好きだ)。現代詩を平易ー難解で分類することは本質的なやり方ではないと思うし、いろいろな誤った印象を与えかねないので良いとは思わない。良いとは思わないが、多くの人に通じる言い方ではあるだろう。ここで言っている難解な詩というのは、ぱっと読んで作者の意図が分からないような詩のこと。たいていの場合、意図なんてないんだと思うし、僕はそれでいいと思っている。

いま現在、詩がどういう人に読まれているかについてほとんど何も知らないのだけど、本屋に行くと最果タヒの詩集が平積みされて「売れています」と書かれているから売れているんだと思う。最果タヒの詩集は何冊か読んで、やっぱり上手いなあと思っている。この前読んだ『星か獣になる季節』は、詩集ではなくて小説なのだけど、文章が良い意味で無茶苦茶で、およそ小説らしくない。途中、詩なのか小説なのか分からなくなるような感じがある。詩と小説の境界を溶かしてゆくような、そういう勢いがある。感覚で遠く離れた点をぱっぱっと繋いでいくような小気味良い文章で、自由奔放さの中にたしかな理性がある。上手いと思った。

僕は安部公房の文章が好きなのだけど、安部公房の文章もどこか感覚駆動で自由奔放に書いている感じがある。でもそこにたしかなリズムがあるから、美しいと思う。『箱男』なんか読んでいると美しすぎてため息が出てしまう。安部公房は若い頃に詩を書いていたという話をどこかネットの片隅で見た気がするから、きっと詩を書いていたのだと思う。安部公房が詩を書いていたとしたら、それはとても納得がいく。そういう文章だ。

詩と小説の境目がどこにあるのかについて、詳しいことを僕は知らない。散文詩という言葉もある。ほんとうは境目なんてないのかもしれない。ただ一つ言えるのは、物語のない文章は詩だということ。だから、明確な物語のない文章は散文詩と言ってしまってよいと思う。物語のある文章が、散文詩なのか掌編小説なのかエッセイなのかは、作品の置かれている文脈によるだろう。もしくは作者の意図によるだろう。





「それならば詩を書くよりも、自分の好きな詩について書く方がずっと良いのではないか。」
僕はこの文章の冒頭でそう書いたが、自分の好きな詩について書くことだって、そう簡単なことではない。好きな詩はあるし、それをここに挙げて見せることはできる。ただ、それ以上のことが難しい。どこがどう良いのかについて、僕は語るすべを持たない。僕に提供できるのは、「僕がその詩を読んで良い詩だと思った」という事実だけだ。

「僕がその詩を読んで良い詩だと思った」というのは、一つの事実であり、事件であり、現象である。僕はその現象に興味を持った。なぜ僕が良い詩だと思ったのかについて知りたいと思ったし、どういう理屈で良い詩だと思うのかについて知りたいと思った。至極、科学的態度である。僕は科学が好きだ。そう思った僕は、本屋に行って詩論の棚を漁ることになる。詩論はその名の通り詩について論じる分野なのだが、僕にとっては非常に難解で、詩論は詩と変わらないくらいむつかしいと思った。僕にとって(もしくは多くの人にとって)、詩は考えて分かるようになるものではないのだろう。きっと、良い詩を良い詩たらしめている理屈はあるはずだが、その理屈は我々の言語のレベルまで下りて来てはくれないのだ。





好きな詩のどこがどうして良いのかについて書くことが難しかったとしても、僕がどんなふうに詩を読んでいるかについて書くことはできる。詩集をひらく。何も考えずにゆっくり読む。読み終わる。ふーん、と思う。なんとなく良いとかなんとなく悪いとか思う。終わりです。

詩を読むことはなにも難しいことではない。ただ考えずに読めばいいだけで、それは人々が音楽や絵画を目の前にしたときと同じ態度だ。僕は曲を聞いたり絵を見たりして良いとか悪いとか言うことはできる。むしろできるのはそれだけだ。ベースが良いとか色使いが良いとか言ってみたって、少しばかり解像度を上げて部分について良いとか悪いとか言っているだけで、結局は同じことだ。

考えずに読むことが、考えて読むことよりも難しいときがある。僕は日本語を学んでしまったので、日本語の文章を、その内容をまったく理解せずに読むことはできない(とっても眠いときなら多少はできるけれど)。ただここに落とし穴があるのだと思う。(僕を含む)たいていの人は、文章を読むとき、そこに何らかの物語や情報を、読み取らずにはいられない。 するといつしか、物語や情報を読み取ることそのものに価値があると取り違えてしまう。僕はノルウェイの森を読んで面白いとは思わなかったけれど、ノルウェイの森がどんな物語だったかを、人に話して聞かせることはできる。僕がノルウェイの森を読んで得たものは、ノルウェイの森がどんな物語をだったかを人に説明できる能力、だけではない。たぶんそういうことだと思う。

音楽や絵画に比べて、言語には情報伝達という極めて実用的な役割があたえられているので、そこから切り離して言語と触れることは簡単ではないのかもしれない。「文章を物語や情報とは切り離して読めるか」という問いは、音楽や絵画の例で言えば、例えば「モールス信号を一つの音楽として聞けるか」「国旗を一つの絵画として見れるか」という問いになるのかもしれない。どっちの問いにも僕は肯定的に答えられそうにないので、少し絶望的な気分になる。けれど、絶望するのはまだ早い。言葉に対する、情報伝達をすっとばした美的感覚は、誰もが持っているはずだと僕は思う。Twitterに蔓延する「パワーワード」という言葉の存在が、それを証明していると思う。さいきんは詩を読む人が少ないので、まじめに(僕なんかよりずっとまじめに)詩を書いている人たちは難しい局面に立たされているのかもしれない。そういう人の中にはごく稀に、現代の読者が言語に対する美的感覚を持ち合わせていないのが悪いという人がいるけれど、僕はそうは言いたくないなあと思う。だってそれは禁じ手じゃないですか。





「好きな詩のどこがどうして良いのか」について僕が書くことが難しかったとしても、その詩の作者なら書けるのだろうか。

Youtubeに上がっている暁方ミセイの講演を聞いていたら、作意についてこんなことを言っていた。

詩を解説するというのは実はとても難しくて、というのも、詩を、完全にこれを伝えようと思っていつも書いているわけではなくて、結果的に書けてしまったものというのが、多分どの詩人も多いと思うんですけど、私もそのタイプなので

詩を説明しようと思うと、必ずしも自分の作意だけで書いているわけではないのに、なにか他のものを切り捨てて、内容を説明することになると、それが、本人がしゃべっていると正解みたいになってしまうけど、必ずしも言ったことだけがいつも詩の内容ではないので

www.youtube.com

Twitterをやっている詩人は少ないので、例えば最果タヒを見つける。こんなツイートがある。(引用元:https://twitter.com/tt_ss/status/568764072042172416

でも、私の解説が正解というわけではないので(なぜなら後付けだからだ!)、作者の意図なんかより、読んだときの感覚みたいなのをだいじにしてほしいです。

他にもこんなツイートがある。

暁方ミセイと最果タヒは比較的若手の、ほぼ同世代の詩人なので、考えが似ているように見えるのは世代が原因かもしれないけれど、少なくとも僕は、この思想は詩人にとってけっこう普遍的なものだと思っている。ある詩の良さは、その詩の作者がすべて理解しているわけではないし、完全に制御して書いているわけでもない。詩の良さは、作者が提供するものであると同時に、読者が発見するものである。そういう、作者と読者の相互作用の中に、詩の良さが存在するのだと思う。





そうそう、小笠原鳥類さんがこんなことを書いていた。(小笠原鳥類(2016)『小笠原鳥類詩集』(現代詩文庫222)思潮社 より)

現代詩手帖の今年の六月号の座談会「滅びからはじめること」で、岡井隆は「小笠原鳥類さんでもいいんだけれども、ひじょうに高度なレトリックを使っておられて、はたしてぼくが教室のひとたちに読んで聞かせてわかるだろうかと思うわけです。」高度なレトリックというものがどのようなものであるかはここではよくわからないけれども、私が(自分の詩が教室で読まれることがあるとして)教室の人たちに望むのは、どう読んでよいのかわからないという困惑である。(ここは……何でしょうね)(ここも、……よくわからないですね)(……なんだろう、これは全然よくわからない、……)非常に不気味な青い教室になると、天沢退二郎の詩に吹いたような「風」が発生するのではないかと、期待しているし不安でもある。岡井隆が「岸田(将幸)さんたちの詩が、一般のひとでしかも教養もある程度あるような読者にはもう少しわかるようになればいいと思っているんです。」そうではなくて、誰が読んでもさっぱりわけがわからなくてイライラしたり、あるいは変に笑うような詩を私は、あるいは私たちは、書かなければならない。なぜなら教室は不気味な青い場所にならなければならない。窓には緑色の顔。

小笠原鳥類さんは「教室は不気味な青い場所に」なればいいと考えているわけで、それは物語や情報とは対極にある立場だ。もちろん、この引用部分からも分かる通り、すべての詩人が小笠原鳥類さんと同じ考えであるというわけではないけれども、これが注目すべき立場であることに変わりはないと思う。

Twitterをやっている詩人は少ないので、例えば入沢康夫を見つける。プロフィール欄にこうある。

「詩は感想や印象を述べたり、演説をしたりするためにあるのではない」というのが、以前からの私の実感。

僕は、詩である必然性のあるものを読みたいと思う。それが詩でなくても、例えばエッセイや掌編小説でも良いとしたら、僕はあまり興味が湧かない。ただ、「詩である必然性のあるもの」が一体何なのか、僕はまだよく掴めていない。いつか掴めたらよいと思う。





そろそろ終わりたいところだけれど、ここまで散漫な文章を書いてきてしまったので、まとめようがない。まとめるのはあきらめよう。代わりに注意を一つ。

この文章では、詩として近代詩と現代詩という主として自由詩ばかり扱ってしまったけれども、短歌・俳句・都々逸などの定型詩もあるし、ソネット漢詩など海外詩もあるし、視覚に訴えるような具体詩というのもある。最果タヒ松本隆らの作詞に影響を受けたと言っているけれど、そうした形で詩をもっと広く捉え直せば、僕は例えばCMや広告のキャッチコピー・キャッチフレーズなんかもそうだと思う(マンションポエムなんて言葉もある)。街中で広告のキャッチフレーズを見ていると、頭韻や脚韻が多く見つかったり、3-4-5文字のパターンが多いなあと思ったりする(3+4=7なので、7-5で七五調かな?とか思っている)。そうして見ると、詩は言葉を使った遊び全般であると言えるのかもしれない。